阪神淡路大震災から25年、当時の振り返り
こんばんは!
せいらです♪
阪神淡路大震災から25年。
25年ときいて、私はもうそんなに経つのかと時の経つ早さに驚いていました。
しかし、被災された方や御家族・御友人・大切な方を亡くされた方にとっては、昨日のことのように思われているでしょうし、いつも心にあるのだろうと思います。
今日は、当時のことを少し振り返っていました。
※子どもの頃に感じていたことをありのままに書くので、不適切な表現があったり不快な思いをさせてしまうことがありましたら、申し訳ありません。
震災当時、私は小学生でした。
物心ついてから初めてあう大震災。
テレビの画面を通じて伝わる現地の様子に、衝撃を受けて、正直現実のものとは思えませんでした。
地震といえば、震度3前後のちょっとした揺れが起きるもの。
私の中では、地震という存在はその認識でいたので、一気にその認識が覆された瞬間でした。
地震、自然の猛威と脅威をありありと感じ、日本が地震大国であることも知ることとなります。
さて当時のことで大きく印象に残っているのが、母親の不安な様子。
実家が大阪にあり、祖母や叔父叔母、従姉妹といった親戚は全てそちらにいることから、何とか連絡をとろうと試みるも、通信網が麻痺していてなかなか繋がらない状態。
もちろん私も心配していたものの、母親の不安は何より大きかったことを感じていました。
正直、地域的にはほとんど心配のいらない地域であったものの、やはり直接安否は確認したいものの。
どれくらい経ってからか記憶が定かではありませんが、連絡がとれた時の母親の安堵した表情と様子は、今でも忘れられません。
私も電話を代わり、祖母や叔母、従姉妹と話が出来た時にはとても安心しました。
私と同じ30代半ばの方は、地震というものを良くも悪くも身近に感じることとなったのが、この阪神淡路大震災であったのではないかと思います。
そして、平和に安全に暮らせる日々が当たり前でないことも強く認識させられました。
当たり前のことが当たり前ではないということ。
家があり、食べ物があり、家族がいて、友人がいて暮らせる日々。
そんな日々への感謝。
今日一日はそれらを改めて感じ、感謝の想いで過ごしました。
こうやってブログを書きながら色々な繋がりを持てていることもまた、感謝です。
いつも本当にありがとうございます♪
※トップの写真のガーベラ の花言葉は、平和・希望です♪
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